ステップファザーの葛藤を恋愛心理学者山崎が実体験から語る

私は子育てをしなかった父親だ。我が子のおむつを替えたことがない。離乳食を作ったこともない。眠たい目をこすりながら夜泣きに付き合ったこともないのだ。

31歳、結婚5年目、二人の子どもはもうすぐ中学生。

そう、私はステップファザーである。

結婚当初は親しい友人や同僚から、「ステップファザーって大変じゃない?」と、心配の声をかけられることも多かった。

その度に私はただ、「どんな家族も一緒かな」と回答していた。

夫婦は血のつながらない家族だ。

赤の他人同士が出会い、ゼロから関係構築して家族になる。

初婚同士の場合に「妻一夫」においてこの作業が行われるが、シングルマザーとの結婚の場合、それが「子どもー夫」においても行われる。ただそれだけの話だ。

彼女(現在の妻)に子どもがいることは知っていた。

どんな子かも話を聞いていた。

それでもなお、彼女との将来のイメージが変わることはなかった。

結婚すれば、子ども達は、すでに生を受けているだけで、彼女と私の子どもであることに変わりはないからだ。

彼女のことが好きで、結婚しないと後悔すると思っていた。「何があってもどうにかなるし、どうにかする」その一心で結婚を決めた。

結婚してからも変わらず楽しい生活を送っている。

ただし同時に、どこかで常に感じる「葛藤」の存在も受け入れなければ、と思っている。

その葛藤の正体は、子どもたちにとって「父親としてあるべき姿とは何か」だ。

結婚当初、子どもたちとの関係構築のため、とにかく一生懸命だった。

妻はシフト制勤務のため、土日祝に子どもたちと私の3人で過ごす日も少なくない。

息子が好きな電車の旅に出かけたり、飛行機を見に行ったり、娘が行きたいと言ったレジャー施設で全力で遊んだり。妻のいない休日は毎回、子どもたちの興味に合わせて全力で楽しめるよう工夫していた。

今振り返れば、当初のその原動力は「子どもたちと信頼関係を築きたい」という純粋な気持ちではない。

「良い父親であらねばならない」というプレッシャーにも似た感情だった。

自分自身の感情を真っ直ぐに自覚したのは、結婚1年目のある日曜日だった。

その日も子どもたちが「乗りたい!」と言っていた電車に乗るため、朝から3人で出かけていた。

車での移動中も大騒ぎだ。

お土産を買いたい、電車ではアイスを食べたい、切符は自分で買いたい。やりたいことがどんどん出てくる。それらをできるだけ叶えてあげたい。

昼ごはんは子どもたちが好きなマクドナルド。昼からお目当ての電車に乗り、終着駅でアイスを買い、お土産も手に入れて帰路に着く。

帰りの車では疲れてうたた寝する子どもたち。

静かな時間が流れるが、家に着く頃には仮眠をした子どもたちの元気が復活している。

その時にふと感じたことがあった。

「おれっていつ楽しめばいいんだっけ」

自分の中にある「親」という役割を徹底的に意識し実践していた自分。

そうすれば、自分も一人の「親」としての楽しさを実感していると信じていた。

ただ実際には違っていた。

いつのまにか親としてのあるべき姿を体現し続けることで「良い父親」としての信頼を勝ち取ることに固執していたのだ。

つまり、ステップファザーも他の父親と変わらない、という自然な受け止めを、自分の中でできていなかった。

ステップファザーとしての負い目を感じて「より良い父親にならなければならない」という気持ちに支配され、緊張感のある日々を過ごしていたことを、その時に初めて自覚したのだ。

結婚生活において、妻はコミュニケーションの量や質により満足度が高まるとされている。つまり、夫との会話量、そして自己開示ができることが夫婦関係満足度を高めている。

一方で、夫婦関係で情緒的サポートをより多く受けているのは妻ではなく夫だ。

結婚のメリットを享受できる夫婦とは、普段は十分に妻の話を傾聴できる夫と、夫が本当に困ったときに精神的に支えられる妻だ。

ありがたいことに、私の妻はまさに「夫が本当に困ったときに精神的に支えられる妻」だった。

妻は私の苦悩に気づき、寄り添ってくれた。

「私、あなたがステップファザーだって忘れてる。いつもありがとう」

妻の言葉を聞き、私の心がフッと軽くなった。

まさに「救われた」感覚だった。

もちろん、根本的な解決にはなっていない。

私の中には今もなお「葛藤」がこびりついている。

父親としてどうあるべきか。どうふるまうのが家族にとってベストなのか。

ただ、今はそれを自然と受け入れられている。

ステップファザーという肩書きに支配されているのは私自身だった。それに気付いた今、無理せず子どもたちとの時間を過ごせるようになったのだ。

私たちは、自分にも他者にも「期待」を持っている。

その「期待」に対して「現実」とのギャップがあると、怒りや悲しみが生まれる。

つまり、怒りや悲しみを感じたくなければ期待をコントロールすれば良い。

とは言え私たちは、自分にも他者にも期待したい生き物だ。簡単には期待を捨てられない。

それでもできることは、自分の期待の正体を正しく知ることだ。

私が抱いていた期待は「良い父親でありたい」というものではない。

「ステップファザーであることを理由に、父親失格の烙印を押されたくない」というものだった。

その正体を知った今、私は私に「ほどよく期待」できている。

結婚3年目。娘が保育園を卒園した。

妻と一緒に卒園式に参列する。

小さいながらに苦労をかけた。3歳の頃から知らぬ男との関係構築に付き合ってくれた。最初は警戒していたが、すぐに膝の上に乗ってくれるようになった。

その日のできごとを拙い言葉で一生懸命伝えてくれるのが嬉しかった。

娘は普段、私を名前呼びするが、保育園の先生には「お父さん」と言ってくれている。

そんな娘が卒園式で、「お父さん、ありがとう」と言ってくれた。

もちろん台詞だ。そんなこと百も承知だ。

それでも卒業証を手に、一生懸命に声を出す娘を見て、保護者の中で一番に涙した。

驚き笑う妻、一緒に泣いてくれる先生、ずっと緊張した面持ちの娘。

隣に座る妻に、無理に作った笑顔で話しかける。

「ハイハイしてたあの子も、こんなに立派になったなあ」

「あなたその頃を知らないでしょ!」

互いに笑い合う。ああ、これが家族ってやつだ。

完璧な父親ではないが、小さい頃を知らないが、ステップファザーだが、それでも「父親」に一歩近づけているかも。そう思えた日だった。

今の私には、2つの夢がある。

1つめは、子どもたちが大きくなったら、子どもの頃の「本音」を聞いてみたい。

いきなり家庭に入ってきた見知らぬ男をどう思ったのか。

子どもながらに感じていた苦労はどんなものだったか。

お互いにベストな距離感を図りながら、家族として受け入れるまでの思い。

いつか話してもらえるよう、きちんと家族としての関係を構築していきたい。

2つめは、子育てを終えたら妻との2人の時間を楽しみたい。

結婚初日から父親だったため、2人だけの結婚生活はゼロだ。

計算上、私がアラフォーの時に子どもたちは経済的に自立する。

妻との2人の時間も、将来の楽しみの一つだ。

子育てをしなかった「父親」が、理想の「父親」になれるのは、いつだろう。

恋愛心理学者 山崎