婚活のプロがあいの里2を見たネタバレ感想と考察。ドーパミン依存の「末路」。
あいの里を見ている層は、ホラー番組を好んでみるという傾向があるらしい。
今日撮影中にディレクターから聞いたその情報に、思わず納得してしまう自分がいた。
恋愛バラエティといえば基本的には「推し」とか「きゅん」とか、そういう要素に溢れていて
自分自身が経験できない非日常を覗き見ることでワクワクするような、そんな類の番組を想像すると思う。
しかし同じ恋愛バラエティの中でも、「あいの里」だけはちょっと毛色が違う。
あれは最早、恋愛バラエティというよりは「社会復帰施設」の覗き見だ。
事実、あの番組を見ていた私と夫が一番発した言葉は、おそらく「怖い」だったと思う。
「え?怖い」
「なんで?怖い」
「ちょっと待って、怖い」
ドキドキとかワクワクというよりは、自分たちが想像しないような得体の知れない展開が巻き起こることへの怖いもの見たさ。
あいの里とは、単純なバラエティ番組ではなく、『35歳以上の“訳あり”な男女が、「愛」を探すために、弱った足腰に鞭打ちながら、不十分な食料を分け合い、日々古民家の修繕などの労働をこなしながら粛々と暮らす物語』
ある種限界集落を眺めているような感じで、見ていて決して心地の良い気持ちが湧き出てくることはない。
とりわけ「2期目」にあたる「あいの里2」は、特にきつかった。まず、誰一人として推しがいない。友人に「推しはいるの?」と聞いても、「推し…?何を言ってんの?」と困惑される始末。結局「強いて言えば◯◯が『マシ』かなあ」というレベルの回答しか返ってこない。
「あいの里1」では、なんだかんだ言ってハートフルなメンバーが揃っていて、くすりと笑える日々を眺めているような気持ちで見られたが、
今回の「あいの里2」は、終始ちょっと見てはいけないものを見せられているような、胸がざわつくようなそんな気持ちが襲ってきたというのが正直なところだった。
今回、どうして私がここまで「あいの里」に嫌悪感を抱くのかというと答えは明確で、35歳を過ぎて「最後のパートナー」を探しているはずの彼ら彼女らが、恐ろしいほどにドーパミンに支配されているからだ。
40を越え、「子どもがほしい」という理由で卵子凍結、自分と向き合って結婚相談所にまで入ったのに、わざわざ恋愛バラエティに出演して「子どもはあまり欲しくない」というバツ2の美容師を選んでしまう女性。
57歳という年齢になっても、「壁ドンチェック」を通して「キュンとするかどうか」を基準で相手を選ぼうとする女性。
それなりの年齢を重ねているのにも関わらず、自分よりも10個以上年下の女性ばかりを好きになって嫌われまくる男性。
こうした光景を見るたび、「え、なぜ?」と首を傾げざるを得ない。「この年齢でまだその基準なの?」と突っ込みたくなるのだ。
彼らの過去を振り返るエピソードでは、それなりに苦労をした今までの恋愛模様も語られる。浮気、不倫、子どもを置いて逃げた元パートナー…。若い頃にドーパミン優先で選んだ相手のせいで、苦労を重ねてきたことがうかがえる。
それでもなお、彼らはドーパミンを求め続けている。この現実が、不気味で物悲しい。そして「怖い」。
つい数日前まで、「妊娠したいから卵子凍結をした」って泣いていたじゃない。
「最後のパートナーを探す」って、その基準本当にそれでいいの?
もう、あなたたちもそれなりの年齢。いろいろ思いがあって、ここに辿り着いたはずでしょう。
そんな状況で熱に冒されて突っ走る彼女たちがとる選択はことごとく不可解で、どう考えたって「幸せ」に近づくには不効率で、一応は婚活や恋愛のプロとして物事を発信している身でその仕草に触れると、どうしても物申したくなってしまう。
いやいや、子どもが欲しいのに、子どもがいらんって言ってる人と里を出ちゃあいかんでしょ。
いやいや、なんでチーズの食べ方ではキレてたのに、不倫しまくっていた過去はスルーなん?
いやいや、夜中のベンチで足を絡めてアピールって、なんでそれでいけると思ったん!?
彼女たちが10代、20代ならいい。
だけど繰り返すが、彼女たちは35歳以上。上は50代だ。
日頃「幸せになるために」と恋愛についてを発信している私は、無力感すら感じる。
そうか、世間の感覚はこうなのか、と。
誰も正しい恋愛のしかたなんて、学ばないもんな。
だけど考えなくてはならないのは、彼女たちが他の人たちとは違う特性を持ついかれ狂ったモンスターなのかというと、決してそうではない点だ。
皆若い頃は美人で、男性にもモテてきたであろう美貌の持ち主。
年齢からは想像できない程に美しいし、親として子どもを育ててきた貫禄があったり、または独り身として必死でキャリアを積み上げてきた実績、強さもある。
彼女たちは「一部変人」ではない。ありふれた、むしろ苦労してきた女性たちだ。なんなら彼女たちは誰よりも努力して、恋愛や人生に向き合ってきたのではないだろうか。
ただ、なんらかの理由で過去の自分の感覚が抜け切らないまま、年齢だけを重ねてしまったために、いつまでもドーパミンを追い求める亡霊と化して、恋愛市場を彷徨いてしまっている。その状況が私を、モヤモヤさせる。
そしてこれは、多くの人にとって決して他人事ではないはずだ。
実際、「まだまだ大丈夫」を繰り返して年齢を重ね、いつまでも「オスみ」や「キュン」を重視して相手を探し続けている女性は、婚活市場に腐るほど存在する。
そういう女性は、私たちがいくら「年齢の大切さ」や「パートナー選びの重要性」を説いても、聞く耳を持たない。
今回の「あいの里」は、そんな女性たちの末路が可視化されているのではないかと、そんなふうに思った。
口酸っぱくいうが、とくに婚活において「年齢」は大切だ。
とくに女性は年齢を重ねれば重ねるほど選択肢が狭まり、拗らせ、露骨に選ばれなくなっていく。
それにいち早く気づいて行動した者のみが、幸せになれるのだ。
今回の「あいの里」を見ていて改めて実感したのは、ドーパミンに依存し続けることで生まれる「現実逃避」の怖さだ。
恋愛におけるときめきや高揚感は、一瞬の幸せをもたらすが、それを永続的に追い求めてしまうと、真の安定や充実感を得る機会を失いかねない。重要な問題点を見て見ぬふりし、後の後悔に繋がることさえ忘れさせてしまう。「あいの里」の住人たちが証明しているのは、まさにその点だと思う。
さらに考えたいのは、彼らの選択の背景にある社会的要因だ。
例えば、結婚や恋愛を巡る価値観、過去のトラウマ、社会からのプレッシャーなどが、彼らの行動を大きく左右している。
年齢を重ねて拗らせ、焦れば焦るほど、正しい選択肢をとる難易度は上がる。
「あいの里」を通して得られる学びは、決して登場人物を嘲笑することではない。
むしろ、彼らの姿を反面教師とし、自分自身の生き方や価値観を問い直すことだ。
今回の物語は、恋愛よりは寧ろ「自己成長」がテーマ。
最後には晴々とした表情で里を出たものもいる。
反対に、誰かと手を取り合って里を出たにも関わらず、醜い争いを繰り広げている者もまた、存在する。
「あいの里」、見ていて苦しい部分もあるが、ある意味で深い学びは得られるので、ぜひ見てほしいと思う。
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