「ふたりで終わらせる(IT ENDS WITH US)」恋愛作家の映画考察【バズ会議】
うまくいきすぎる時には、いつも“何か”がある。
だけど、誰もが道を間違える。ことさら、恋愛となると。
「DVを受けた」と伝えると必ず聞かれるのは、「そういう相手だと、分からなかったのか?」という愚問である。
事前に殴るような相手だと、心をズタズタに引き裂くような相手だと分かっていたなら、そんなに分かりやすい警告音が鳴ってくれていたのなら、私たちだってあいつらに、心を許したりしなかった。
被害者たちは知っている。
後に心を砕く悪魔に変身してしまう相手はいつも魅力的で、相手の心を鷲掴みにする。
無自覚に他人を惹きつけるような切なさと色気が、彼らにはある。だから、怖いのだ。
出会ってしまったら、誰もがつい触れたくなるような、彼らはそんな魅惑的な姿をしている。だけど、それを分かってくれる人たちが、世間にはどれくらいいるだろうか。ことが起こってから「どうして」と問い詰められても、うまく説明などできるはずがないのに。
そんなことを知っているからこそ、私はこの映画に救われたのかもしれない。
今回取り上げるのは、11/22に公開される映画「ふたりで終わらせる/IT ENDS WITH US」。
全世界で約1,000万部を記録した大ベストセラー小説を原作に<愛する人からの暴力>という問題を描いた本作は、著者が実際に経験した家庭内暴力の要素を用いながら、繊細にその苦しさが描かれている。
主人公であるリリーを演じたのは、ブレイク・ライブリー。
ゴシップガールで自由奔放に恋を楽しんでいた彼女が、本作では聡明で大人な女性を演じる。
主人公のリリーは、フラワーショップを開く夢を持つ女性。ある日、クールでセクシーな脳外科医ライルと情熱的な恋に落ちる。
しかしリリーを思うライルの愛は、次第に<望まぬ形>で加速する…。
私が救われた理由のひとつになったのは、加害者役となるライルというキャラクターが、十分に魅力的に描かれている、という部分だ。
暴力をテーマとして加害者を描く時、彼らは露骨に“嫌な”キャラクターになりがちだ。
傲慢で腕っぷしが強く、いかにも「やりそう」な感じ。
サイコパスっぽいとか、怪しいとか、出会った瞬間からそんな要素が、どこかから漏れ出ていたりする。
だからいつも、頭が追いつかない。
「ちょっと、なんでそこでソイツを好きになるのよ!」ってな具合で、脳内でおせっかいおばさんが発動してしまうのだ。
だけど本作の相手役であるライルは、そんな外野が描く「典型的な加害者」とは少し違う。
脳神経外科医で、親友の兄。セクシーでおまけに笑顔がチャーミング。
友人も多く、仕事にも熱心。何より、誰よりもリリーを愛している。
そう、彼は“ちゃんと”魅力的なのだ。
きっと私がリリーの友人で、ライルを紹介されたら。
「よかったね、応援するよ」と心から喜ぶだろう。
そんな明るい魅力が、彼にはある。
そしてこの映画では、そんなライルとの出会いから、リリーが完全に心を奪われるまで描写を実に丁寧に描いている。
途中、「ただの純愛ラブストーリー?」と錯覚しそうになる程、ふたりは幸せに、順調に、そして慎重に愛を育むのだ。
そしてその瞬間瞬間が、見ているこっちがニヤニヤしてしまうほどに、素敵な物語として画面に映し出される。感情は浮き立つ。「幸せ」「高揚感」「満足」「希望」「恋」「愛」ってなふうに。
そんな美しいストーリーを見ながら、「ああ、そうなんだよな」と思い出す。
相手はいつも魅力的で、自分を愛してくれて、美しい思い出が山ほどあって。
だから好きになった。だから愛してしまった。
だから、「たったそれだけ」で、相手のことを嫌いになるなんて、できなかった。
だから、「あんなこと」をするなんて、信じられないし、受け入れられなかったんだ、と。
自分の過去の感情をなぞられるように、物語は進行する。
そんな中で訪れた、最初にライルがリリーに暴力的な態度を示すシーンは、嫌なくらいにリアルだった。
心理描写やきっかけ、それから行為自体もそうなのだが、何よりもあの「音」が、本物に近い。
私は試写室に座る部外者なのに、たしかに安全なのに、それでも「あの音」が、過去の記憶を瞬時に引っ張り出してきて、体が反応して縮こまった。
「これ以上気分を害させてはいけない」「何かの間違いだ」「自分のせいに決まっている」「とにかく前の彼を取り戻してもらわなければ」
映画を見ているだけなのに気持ちが入り込んで、焦ってあたふたするような感覚に襲われて、それでハッとして周りを見渡して、ようやく息をついた。
そのシーンは、ある意味些細なものだ。「暴力」に当てはまるかも怪しい。
だけどあれが「キッカケ」なのは、響き渡るあの「音」から明白だった。
そこからのふたりの関係性の崩壊は、見ていられなかった。
あれだけ幸せだったからこそ、私まで時間を巻き戻したいようなそんな気持ちになって。ストーリーが進むごとにスクリーンが悲しみに染まり、「もうあの二人はいないのだ」と、それが更に絶望を感じさせた。
なにより苦しいのは、ライルが「単純な悪者」ではないからだ。それは現実だって同じこと。大抵加害者にはいつだって加害者側の事情がある。嫌なくらいに。
もちろんそれを考慮なんてする必要ないのだけれど、だけどその加害者が「愛する人」だったとしたら、「考慮せずにいられるのか?」って、いつもその問いに答えは出ない。
リリーが悩み、もがく表情に、自分を重ねていた。
彼女が絶望の先で何を選ぶのか。単純に興味があったから、最後まで釘付けだった。
息をするのも忘れて、必死で食いついて見ていたからこそ、最後の最後、「わたしたちで終わらせる」という言葉の意味が分かった時、どわっと力が抜けて、ずっと緊張していた身体中の細胞がひらいて、そしてそこからようやく涙が垂れるみたいに、私はポロポロと泣いていた。
その涙は単純に、「ええ話や」と、映画を見た感想として流れた涙ではなく、なんというか自分の過去を浄化したような、抱きしめてもらえたような、そんな気持ちになる、不思議な涙だった。
「わたしたちで終わらせる」という言葉の意味。ぜひ皆さんにも見守っていただきたいと思う。
と、最後の最後に、この作品を語る上では絶対に触れておかなければならない人物がいる。アトラスだ。
公開前に詳しく触れてしまうとネタバレになってしまうので言葉を選ぶ故ものすごく抽象的になってしまうが、彼とリリーの若き日の思い出は美しくて透明で透き通っていて、その眩しい純粋さは見ているだけで泣きそうなくらいに儚く綺麗だった。
一方、私は彼に危うさも感じていて、散りばめられる彼とのシーンで手放しに幸せの予感を感じることができなかった、というのが本音。
どこの口コミサイトを見ても、アトラスは「希望の存在」として語られる。だけど、本当にそうだろうかと、疑り深い私の心は、警告音を鳴らす。
地獄を共有した相手との絆は、深い。
その深さは、家族など比にならない。
だけどのその深さ故の歪さや不安定さを私は知っているから、だからアトラスのことが大好きで、それとおなじぶんだけ不安なのだ。
…あまりにも詳しく書けなくてもどかしいので、映画を見た人はこっそり感想を教えてほしい。
さて、あまりにもいい映画だったんでつい感想を書いてしまったけど、ここからは私が個人的に伝えたいこと。
あのね、これを見ている女の子よ。
我々はしょっちゅう「相手選びが大切だ」なんていうけれど、
実は完璧な相手選びができる人間など、この世には存在しない。
それどころか、危険な相手であればあるほど、相手は魅力的な空気をまとってあなたの前に現れるわけで、微かに漂う「やばい」を察知してその魅力から逃れるなど、普通の人間には、できっこない。
だから、もしも今、過去の私と同じように、「どうしてそんな人を選んだの?」と責められている人がこの記事を読む中にいるのなら、まずはどうか自分を責めないでほしいな、と思う。
あなたは何も悪くない。きっと、そこにいたのがあなたでなくても、誰もが同じ選択をしたと思う。
それくらいに相手は魅力的だったし、避けられなかったことなんだ。
だけどね、もしもこの先、あなたが幸せになりたいのなら。
どれだけ愛していても、事情があったとしても、その人の手を離す以外には、ふたりが幸せになる手段はない。
苦しいけれど、その手段をとれたときにはじめて、あなたは一人で歩いていける。
この映画を通して、「幸せになれる決断」をできる人が増えるといいな、と、そんな風に思ったし、私自身もナレソメ予備校を通して、リリーのような人にこそ向き合い、幸せにするような活動を続けたいと、改めて願ったのであった。
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