【バチェラー6】最終話感想&考察|石森美月季は出来レース、小田美夢は魚肉ソーセージ。港区現実物語、爆誕【ネタバレあり】

ものごとをあるがままの姿で受け入れよ。
起こったことを受け入れることが、不幸な結果を克服する第一歩である。
――ウィリアム・ジェームズ(アメリカ・哲学者)

さて、ここまで前編中編とレビュー考察を重ねてきた『バチェラー6』。
長かった旅もついに結末を迎え、エピソード8でファイナルローズが手渡された。
今回は、『バチェラー6』全体を振り返りつつ、この「恐ろしい結末」について、皆さまに注意喚起を行いたいと思う。

あ、サラッと言っちゃった。
「恐ろしい」。そう、今回のバチェラーは、まさに恐ろしい現実を突きつけてきた。
その名も「港区現実物語〜挿入無し編〜」
実はこの物語、非常に恐ろしく残酷でありながら、婚活のプロという視点から見ると非常に学びのあるものだった。

今回はこの物語をもう一度なぞりながら、結末の“中身”を徹底的に考察していく。

――ここから先はネタバレを含みます――

放送前から恋リア界隈をトリコにしたバチェラー、「久次米一輝」

本シーズンにおいて最も大きな特徴は、なんといってもバチェラー本人の“スペック”だった。

「久次米一輝」。彼の登場は、放送前から話題をかっさらった。

その経歴と顔面が発表された瞬間から、SNSは「本物のバチェラーが現れた!」と大盛り上がり。
恋リア界隈は一斉に久次米のとりことなる。

それもそのはず。 彼は顔面から肩書きまで全てがピッカピカ。

年齢は30歳。顔は「甘」と「イケ」を絶妙に掛け合わせた完璧仕様。
職業は医師、さらに父親は「共立美容外科」の創業者で理事長という、誰もが認める“イケメン完璧御曹司”なのである。

ちなみに、その“特別感”は、公式の扱いにも如実に表れていた。
過去のバチェラーたちと比べても、明らかに扱いが違う。
予告編では彼の顔面をこれでもかと前面に押し出し、キャッチコピーは「バチェラー史上最もかわいい」。
フォトブックの発売がちらつくなど、まさにバチェラー界に現れた“期待のプリンス”としての異例の扱いだった。

そしてまあ、あれである。
1つ前のシーズン、『バチェラー5』の惠一が「この人、本当にバチェラー?」というキャッチコピーを背負って登場していたことも、対比として久次米の“王子感”を際立たせたのだろう。

今や恋リア芸人と化し、“運命の人”を探して数々の番組をハシゴしている惠一。
彼の“がっかりバチェラー”っぷりが記憶に新しいからこそ、「ようやく本物が来たぞ!」と、世間は浮き足立っていたのである。

もし私が『バチェラー5』の参加者だったら、こう叫んでいたはずだ。
「聞いてない!こっちが良かったわ!!」

期待を裏切り、評価は過去最低。ひたすら「やっぱりな」が続く物語

さて、それだけ取り沙汰され、期待された『バチェラー6』が昨日最終回を迎えたわけだが、その「期待」が裏切られたと感じる視聴者が続出する結果となる。
というのも、直近のAmazonプライムビデオの評価は、シリーズ史上最低の2.2(6月18日時点)。
過去最高に期待されたバチェラーは、過去最低の評価で終わった。

では、なぜ「期待外れ」だったのか。
「バチェラー6がおもしろくない理由」については、前編の記事でも触れたが、本記事でも改めて確認しておきたい。

なんといっても今回のバチェラーは、全体を通して「既定ルート」だった。
なんの意外性もなく、バチェラーが“好みではない女性”を順当に脱落させていき、 そして、おそらく最初から狙いを定めていたであろう「石森さん」を選ぶ、それだけの物語。

今にして思えば、久次米の中では旅の序盤から、石森さん以外に選択肢などなかったのだろう。

だからなんの中身もない。迷いもない。ドラマもない。

それでいて多くの人に不満が残ったのは、石森さんが、久次米の知人だったことにも原因がある。
それも実家にまで行き、母親とも顔を合わせたことがある、いわば石森は、「久次米と同じ世界線のお嬢様」なのである。

バチェラーという番組の鉄則は、「様々な強風(キャラ)を持つ参加者が、よーいどんで同じラインから走り出す」ことにある。
視聴者が求めているのは、そこから起こるいわば“シンデレラストーリー”。
「知らない」同士だからこそ、どうやって印象を残し、どうやって心をつかんでいくのかにドラマや見所がある。

そのプロセスこそが、この番組最大の見どころなのだ。

しかし、そこに“知り合い”が1人放り込まれると、物語は全く違うものになってしまう。
それはもはやバチェラーではない。「プリンスとプリンセスの、運命的な再会物語」だ。

実際に久次米は石森へ思いを伝える際、「遠回りしたけれど」という表現を使っている。
彼らの物語は、数年前から始まっている。その時点で他の参加者とは条件が違いすぎる。

「既定ルート」をただ歩むだけの恋リアほど、つまらないものはない。
久次米があまりにも素直に、あまりにも揺らぎなく突き進んでいく姿に、視聴者は波を感じなかった。

「いや、港区で出会えるなら港区でやれや」「何を見せられてたんや」。
視聴者からすれば、そう思っても当然だ。だからこそ、特に前半では「期待外れだった」という声が多かったのだ。

また、過去に“キッスバチェラー”として悪名をとどろかせたK.Kが、最悪な前例を作ってしまったことも、今回の評価に影を落としている。

知り合いを選ぶのであれば、せめて、 それが「運命的」で、美しくあってほしい。
そして選んだからには、順調にその後の道を歩んでほしい。そうすれば視聴者も、まだ納得ができたはずだ。

だが、K.Kの件で視聴者はこう学んでしまった。

「どうせ知り合いを選ぶんでしょ?」
「そしてその“知り合い”を、結果的にいちばん傷つけるんでしょ?」

そんな苦い記憶を抱えた視聴者の鋭い目線が、今、久次米に容赦なく突き刺さっているのである。

ごめんな、久次米。だけどな、久次米、実は君のイニシャルもK.K。
これは全て最初から決まっていた、「陰謀」だったのかもしれない。

ファイナリストの小田美夢と石森美月季、それぞれを振り返る

ここからが本題である。

なぜ、久次米は石森に「ファイナルローズ」を渡したのか。
そして、なぜ小田を選ばなかったのか。
そもそも、小田はなぜあそこまで残ったのか。

この章では、その点について、考察していきたいと思う。

最初に断っておくが、ここから先は“モラルギリギリ”の「現実」の話を淡々とつづっていく。
人によっては、心をえぐられたり、軽く絶望してしまう可能性があるのでご注意いただきたい。

心臓の弱い方や、精神状態が不安定な方は、読み進めることはおすすめしない。
どうか、そっとブラウザを閉じるか、こちらの記事でも読んで心を落ち着けてほしい。

ファイナルローズに選ばれなかった「小田美夢(おだみゆ)」は、魚肉ソーセージだった

今回のバチェラーシリーズで、唯一我々に“見どころ”を与えてくれた存在。
それが、私の推し、小田美夢である。

この点に異論のある視聴者は、ほとんどいないのではないだろうか。

「みゆはぁ〜」という、あの独特でスローなしゃべり方とふわふわとした動き。
良くも悪くも、私たちの胸をグッとつかみ、そしてちょっとした胸焼けを起こさせた美夢。

今回参加者全体がおとなしめだったこともあって、美夢の存在はありがたいスパイス。
いわゆる“ネタ枠”として、ある程度のところまでは楽しませてくれる存在になるだろう、と、我々視聴者の多くはそう思っていた。

実際、バチェラースタジオのMC・指原が「推し」として彼女の名前を挙げていたのも、我々と同じ目線であったように思う。

それだけ、美夢が注目度の高い参加者であったことは間違いない。

とはいえ、多くの人は「演出上、そこそこまで残るだろうな」と予想しつつ、まさか最後の2人に残るとは、想像していなかったはずだ。

そもそも石森さんの“既定路線コース”が強すぎたのもあって、 今回の視聴者の興味は「なぜ美夢がファイナルローズに選ばれなかったのか」ではなく、 「なぜ美夢がここまで残ったのか」に向いているように思う。

その点、「美夢がファイナリストまで選ばれた理由」について、私自身はそこまでの違和感がない。

その辺りの考察は、こちらの記事でも述べている通りで、久次米にとって彼女は現代アートの抽象画として「解き明かしたくなる存在」であったのではないか、というのが、これまでの予想だった。

「自分がわからないだけで、もしかして、なにか深い意味があるのでは」
「ただの線画なわけがない。どこかに、秘められた想いや背景があるのでは」

人は自分には理解できないものを目にしたとき、文脈で「意味」を感じてしまう。
それがたとえ、全くの空っぽであったとしても。

この一連の流れを見て、ふと私は思う。小田美夢も、きっとそういう存在なのだ、と。

ズバリ、小田美夢は、現代アートの抽象画なのである。

小田美夢は現代アート

引用:【バチェラー6】ep5-7話ネタバレ考察&感想|「どうしておだみゆが選ばれて、あの女性が脱落した?」理由とラストローズ予想 | ナレソメノート

では、なぜ――あれほど美夢という抽象画にメロい視線を送っていた久次米が、突如として冷静になり、彼女を切り捨てたのか。

ここからが非常につらい「現実」の話である。

ズバリ言おう。
結局のところ、美夢は「魚肉ソーセージ」だったのである。

なんとなく意味があるように見える。なんとなく引き寄せられる。
多くの人はその“なんとなく”に文脈を見出し、自分なりの考察を加え、「これは自分にしかわからない特別ななにかだ」と酔いしれる。
まさにアートの楽しみ方の1つである。

だが一方で、そのアートを真剣に読み解いてみたら、結局、中には何もなかった。なんてことも、よくある話。
今回は、そのケースだったのだ。

久次米は、美夢のまとう独特な空気に強く惹かれた。
一緒にいると自然体でいられたし、愛おしさも感じる。
守ってあげたいという、本能に突き動かされた衝動すら湧いた。

なぜそんな感情が湧くのか。
おそらく久次米は、自分でもその理由がよくわからなかったのだと思う。

だからこそ最初は、美夢という存在を「アート」として意味づけしようとしていた。
一見浅そうだけど意味深な言葉や表情に、“深い何か”があると仮定することで、自分にしか理解できない心地よさに酔っていた。

しかし、である。
「人生のパートナーを選ぶ」となると、男は途端に冷静になる。
心で“アート”を感じていた久次米が、ジャグジーから上がって1人になり、ふと脳みそで考え始めた瞬間。頼りなくもはかなくも思える、中身がなさそうでありそうな美夢の会話が、本当に中身のない、ただの頼りない会話であることに気づいてしまった。

「じゃあ俺は、なぜあのアートに惹かれていたんだ?」

はっと冷静になったそのとき、彼は悟る。

美夢は、アートなんかじゃない。
“魚肉ソーセージ”だったのだと。

小田美夢は魚肉ソーセージだったのだ

特別なんかじゃない。
深い意味があったわけでもない。
美夢はただ久次米にとって、“手軽に欲を満たしてくれる存在”だった。

6歳年下の、かわいい女の子。わかりやすく好意を示し、自分を持ち上げてくれる。
「今まで彼氏がいたことがないんだよ」と抱きついて支配欲をくすぐり、会うたびに「大好き」と自分を肯定してくれる。

かわいいな、と思う。デートに誘う。ジャクジーに入って抱き合う。
キスをしたくなる。いや、してしまう。

あれ? この気持ちは?

ええ……文字にすればどう考えてもただの「インスタントな性欲」である。

だが、バチェラーという環境下は、それにすぐには気づけない仕様になっている。
というのも、バチェラーという額縁(演出)があまりにも美しすぎて、そこで繰り広げられる「絵」が実際以上に清潔できれいに思えてしまうのだ。
それでいてバチェラーにはセックスがない。全てに美しい意味付けをしやすい環境が整っている。

けれど、久次米だってバカじゃない。
さすがに冷静になれば、彼が美夢に感じていた“気持ち”は、非常に浅い、ありふれた欲望だったのだと気づくはずだ。

もちろん、久次米が美夢に本気で惹かれていたのも、キスをした瞬間に湧いていた感情も、きっと本当だったと思う。
だからこそ、「なにかがあるかもしれない」と思って、彼は真実を見出そうとしたはず。
だけど最後に行きついたのが、結局は「魚肉ソーセージ」だった。それだけ。

これに関しては、久次米を責められない。

魚肉ソーセージ。
嫌いな人はいない。ときどき無性に食べたくなる。
そして、手軽でフィルムをむくだけですぐに食べられ、安価でくずれやすいから、多くの魚を釣るための餌としてはとても優秀な魚肉ソーセージ。
でも、それが“食卓のメイン”として扱われることは、ない。
誰かの大好物として名を連ねることも、ほとんどない。

「魚肉ソーセージ」はあくまで手軽に欲を満たせる、インスタントフード。
どう考えても深みのあるアートとは程遠い。

目の前にあれば食べたくなる。
だけど食べて欲望を満たせば、興味を失って、またお腹が空いて目の前にたまたま現れるまでは思い出しもしない。
あえて食べにいくこともない。

そこに気づいてしまったとき、久次米は“賢者タイム”に突入する。
こうなると彼女に、ファイナルローズは渡せないのは当然なのである。

魚肉ソーセージは、最後の晩餐には選ばれない。

実は「魚肉ソーセージ系女子」は、日常のあちこちに潜んでいる。
それこそ、街のあらゆる場所に。マッチングアプリにも。職場にも。港区の飲み会にも。

今回がバチェラーで、渡されるのが「薔薇」だったから、まだ良かったのだ。
だが、もしこれが、港区だったなら。彼女は薔薇ではなく、あの“メロい”キスの流れで、そのまま“ポコ”を挿入されていただろう。

そして食われて、捨てられる。

男はなんの責任も負わない。
最終的には“育ちがよく、わかりやすく、自分のレベルとマッチする”、石森のような「ちょうどいい女」を選び、幸せになっていく。

一方その頃、穴だらけになった魚肉ソーセージは、一度自分に目を向けてくれた久次米のことが忘れられずにいる。
「久次米か、それ以上しか考えられない」と、滅びるように水中をただよう。
でも、誰からも真剣には相手にされない。

また別の魚たちが群がってくる。
食われる。

また別の魚がやってくる。
また、食われる。

そして最後には、跡形もなく、食い散らかされて沈んでいく。

美夢は、まだ若い。だから、まだ取り返しがつく。
けれど、あのまま“ああいう女”として生きていけば、その末路は――絶望的である。

魚肉ソーセージのままでは、いつまでも1番には、なれないのだ。

【本音】美夢にキスをしたのは許さないよ

とはいえ、美夢への扱いに関して、私は久次米を許していないので最後に気持ちを書きつづります。

久次米よ、自分の気持ちがわかっていない状態で「恋愛経験がない」と打ち明けている美夢に2回もキスをすな。
どういうことやねん、ほんまにええ加減にせえよ。

ほんで「恋に落ちた」「(好きと言われて)俺もだよ」と散々言うて、「好きとは言ってない」カウントって、それタチの悪いセフレがやることと同じやないか。

最後の最後も石森に「好き」と伝えて、「これだけは取っておいた」ってそれらしい演出してたけど、それもなんでやねん。
「好き」より「キス」を取っとけよ。

まあでも……これもあれだよね……K.Kが「バチェラーはキッスしまくってOK」という前例を作っちゃったから、というのもあるよね……そうだよね……久次米に罪は……ない……よね

とはいえ、美夢を泣かせたことは許さないよ。路確です。

「石森美月季」がファイナルローズに選ばれた残酷な理由

さて、気を取り直して。

魚肉ソーセージの恐怖が露わになった裏側で、ファイナルローズを受け取ったのが……石森だった。

「どうして彼女が選ばれたのか?」と問うこと自体、意味がない。
というのも、彼には最初から「彼女しかいなかった」。それは、放送後に次々とネットに現れた情報からも明らかだ。

すでに述べた通り、石森は“久次米と同じ世界線の登場人物”である。

彼女自身が、久次米に引けを取らないハイスペックなのだ。

親族は、創業150年以上の歴史を誇る老舗企業を経営。
父親は、国際協力や環境経営を専門とするコンサルティング企業の代表取締役。
母親は同じくコンサル業界出身で、現在は国内外で活動するジャズボーカリスト。

また、石森本人も留学経験を活かしてインバウンドビジネスの企画開発に携わる、バリキャリ女子である。
そして2021年には、容姿だけでなく環境問題への意識の高さも問われる「ミス・アース・ジャパン2021」に出場。ファイナリストに選出されている。

……ここまで書けば、もう充分だろう。

久次米が“プリンス”ならば、石森もまた“プリンセス”なのである。

番組構造上は「石森が久次米に選ばれる」という図になっているが、正直なところ石森クラスの女性であれば、久次米レベルの男性から言い寄られることはゼロではないはずだ。
彼らは参加者の中で唯一、釣り合っている。

ちなみにこのシーズンで、我々ナレソメ予備校が開発した「婚活戦闘力診断」の数値で最も彼に近かったのも、石森だった。

※婚活戦闘力診断とは:ナレソメ予備校が数千件の婚活データをもとに独自開発した診断。
婚活において重要なスペックを数値化することで、「市場での市場価値」を戦闘力として可視化する。数値が近い相手同士は、実際にお見合い率・交際率・成婚率が高い。

つまり今回ファイナルローズに選ばれたのは、「久次米にとっていちばん見た目が好みで、若く、家柄も育ちも良く、自分と釣り合う女性」だったわけである。
となると正直、当たり前だ。

おそらくだが、彼の実家で開かれるホームパーティに“違和感なく出席できる後ろ盾”がない女性は、そもそも釣り合わず、選ばれなかったか、選ばれても最終的に破綻していたと思う。

思い返せば、今回のバチェラーが「つまらない」と言われた理由の1つに、久次米と女性陣の会話が非常に薄っぺらかったという点がある。
人間性を深掘りするようなやりとりもなければ、人生観を語り合うような場面もほぼなかった。

つまり久次米は、意識的にせよ無意識にせよ、「自分と同じレベルの女性」以外には、そもそも可能性を感じていなかったのではないか。

そして石森ほどの後ろ盾があるなら、「深い事情」など知らなくていい安心感がある。
そういうものは、後から知っていけばいいから。
そう考えれば、久次米が石森を選ぶのは、ある意味で「出来レース」だった、と言ってもいいのかもしれない。

これは残酷だが、現実だ。

……まあ、とはいえ、最後に2人で並んでいれば、「この2人だよな」と納得せざるを得ないオーラがあった。2人はやっぱり、お似合いだ。

K.Kが作った「知り合いと結ばれてもうまくいかない」という前例を、ぜひとも覆してほしい。そしてバチェラーの成婚率を上げてください。よろしくお願いいたします。

まとめ:現実はシビアであると、理解せよ

大きく振り返ると、今回の『バチェラー6』は、大きなドラマもなく、ただただ「現実」を突きつけられたシーズンだった。

その意味では、演出らしい演出、いわゆる「やらせ感」を感じず、だからこそ「これがリアルだよな」と妙に納得させられた点で、ドラマとしてはやや退屈が、学びという点では意外にもおもしろかった、と言えるのかもしれない。

そして皮肉にも“本当の意味での恋愛リアリティショー”は、これくらい「わかりやすい」のかもな、とも思った。

ネットでは批判が多いが、私個人としてはこの出来レース感のある結末について、久次米を責められないと思っている。

なぜなら、彼はとても優しい男だったと思うからだ。

誰のことも傷つけず、美しい笑顔で女性たちを魅了する。
だが一方で、そんな彼ですら無意識に、「顔」と「育ち」と「年齢」で、相手をふるいにかけていた。 ただそれだけのこと。
それだけのことだけど、それがグロテスクで、シビアで、リアルだ。

つらい現実だが、体感としても一致している、“本物のリアル”を見せてくれたという点で、久次米はバチェラーとしての役割を果たしたと言えるのではなかろうか。

さて、ここまで前編から後編にわたって寝ずにバチェラーを追ってきたこの連載も、いよいよ終盤。

最後に、恋愛リアリティ番組が好きで、この記事にたどり着いたあなたに、婚活のプロとしての助言を置いておきたい。

今の世の中は、「ルッキズム反対」「ありのままの自分を愛して」みたいな、 “誰も傷つけないけれど、誰も救わない”きれいごと”であふれている。

過去の境遇なんて関係ない。
年齢なんて関係ない。
顔なんて関係ない。
ありのままでも、誰でも愛される。

たしかに、美しい言葉だ。私だって、そうであってほしいと願っている。

だけど……今回のバチェラーで、わかったと思う。

現実は、そんなに甘くない。

過去の境遇も、顔も、年齢も、関係がある。

もしもそこに“ハンデ”があるのなら、それを理解し、戦略を持って挑まなければ、人は普通に競り負ける。
身の人生が関わる重要な局面で、「きれいごと」をもって他人に情けをかけて優しくしてくれる人は、ほとんどいない。

そこを理解してほしい。強く。

実はこれを書いている私自身、顔も容姿も年齢も境遇も、欠けまくっている。
だからこそ、石森のような女性に全てをかっさらわれてしまう不条理に、モヤモヤが残るあなたの気持ちも、私は痛いほどわかる。
きれいごとを信じていたからこそ、久次米が薄情に映るかも。石森に、腹が立つかも。

だけどね、それを嘆くな。石森に怒りをぶつけるな。

もしあなたが、久次米のような男を“刈り取りたい”と思っているのなら。
幸せな「結婚」に憧れがあって、でも前に進む方法がわからず、魚肉ソーセージになりかけているのなら。

まずはその事実に気づいて、自分の欠点を認めて、それを武器に変えて、戦ってほしい。

この連載の締めくくりとして、冒頭に載せたあの名言をもう一度、あなたに捧げたい。

ものごとをあるがままの姿で受け入れよ。
起こったことを受け入れることが、不幸な結果を克服する第一歩である。
――ウィリアム・ジェームズ(アメリカ・哲学者)

ここからは宣伝。

実は私たちは、結婚相談所「ナレソメ予備校」を運営している。
まずはZOOM無料相談に来てくれたら、今回ファイナリストを診断した「婚活戦闘力診断」で、 あなたの婚活偏差値と、それに釣り合う実際の男性会員の写真をお見せできる。

今、彼氏がいるけどクズすぎてどうしようもないと嘆いている人。
そもそも“いい人”に出会えないと嘆いている人。
自分がどう戦えばいいのかわからず、石森に嫉妬してしまっている人。

うちに来れば――1年以内に、結婚できる。
バチェラーに応募するより、遥かに可能性があることを、ここで伝えておく。

この記事に出会ったのもなにかの縁。

その場で入会する必要はないので、興味があれば問い合わせてみてほしい。

……と、最後に宣伝くさくなってしまったけど、私たちはバチェラーから学び、人の恋愛を血と肉に変えて、幸せになってやろう、という意気込みを述べて終わりにしたい。

次は「あいの里」のレビューで会おう。

yuzuka

▶『バチェラー6』感想考察

前編(エピソード1~4)はこちら

中編(エピソード5~7)はこちら