【ぽめの育休日記vol.1】ハイスペ専業主夫、おっぱいが欲しい。

子供が生まれてから、毎朝、カーテンをひらき窓を開けるのが日課になった。

どれほどの意味があるのかわからないが、なんとなく、子のために新鮮な日光と空気を入れ替えてあげたいと思う。忙しさにかまけて穴倉のように淀んだ空気の中、目を血走らせて仕事だけをしていた以前とは既にまるで違う。子を労わることを通して、自分自身をも慰撫しているような、そんなまろやかな感覚に陥りながら朝のオムツを取り替える日々が新鮮で、別人の人生を歩んでいるような気さえする。

ちなみにお尻拭きはパンパースがオススメ、水分量が段違いだ。

我が子が生まれて2週間、退院して家で過ごすようになって1週間が経った。

出産シーンは劇的だった。女性はこんな風に子を産むのかと目を丸くした。激痛にのたうち回り、髪を振り乱し血を垂れながらいきむ妻は負傷しながら戦う兵士のようで、「まさしく女の戦場だ」とおののくしか出来なかったし、男は産室において実に無力だった。

「自分は無傷だから、せめて産後は妻の気力体力回復を最重要視してサポートしよう!」と意気込んだのも束の間、現実に男ができることは制限されていた。

聖路加国際病院はとてもいい施設でオススメだが、方針として母子同室・・・つまり産後まもなくから赤子の面倒をみる必要がある。その上、産後はパートナーの面会時間も朝6時〜夜9時までと定められており、夜は強制的に帰宅しなければならない。妻は日中、検査や面会などで起きていなければいけない時間も長いため、夜はさぞ寝たいだろうに・・・肝心の夜間に僕が帰宅となるため、ワンオペさせざるをえなかった。

病院近くのホテルに宿をとり、毎朝6時か7時には面会ができるよう通ってはいたが、夜はぐっすり寝られるので妻に比べたらラクなものだ。「旦那さん、毎日朝早くからきてくれて優しいですね!」と助産師さんに言われたりもしたけど、正直このタイミングでは「そのくらいやって当然」の範囲内だと思った。

ついに退院して、赤子を引き取った日。

「よし!育児するぞ!」と気合いを入れていたものの、最初のハードルに早速心挫けそうになる。赤子を抱いても、どうにも泣き止まない。妻が抱くとピタッと止まるのに、僕だと赤子は体を仰け反らして嫌がる。

なにかを手招きするように、空を掻く小さな手を観察していて、「おっぱいか!」と気付いた。宇波さんのように肉厚なボディだったら多少マシなのかもしれないが、僕は体脂肪10%以下のささみボディ。ゴツゴツとした胸板は、さぞ抱かれ心地も悪かろう。

「柔らかで豊満なおっぱいさえあれば、もっと妻の負担を減らせるかもしれないのに・・・」なんて、考えても仕方ない空想を展開するのは、理系出身で金融勤めの僕にはあり得なかったことで、自分の変化にただ驚く。大学院では確率・統計を専門に学び、仕事でも20年近く徹底的に数字とデータ、ロジックを追求してきた身が、「おっぱいがあればいいのにナァ」なんて詮なきことを考えるとは。男とは、幾つになってもおっぱいを求める生き物なのかもしれないし、おっぱいの汎用性の高さには驚かされるばかりだ。性的魅力にもなるし、クッションにもなるし、給餌もできるなんて機能性が高すぎるのではなかろうか。

おっぱいがなくて申し訳ない。

自宅に戻って1週間経って、今は多少、赤子の扱いにも慣れた気がする。

おっぱいが生えたわけではないが、なんとか赤子を腕に抱いてあやすコツも修得した。体力回復と仕事にリソースを割く妻をサポートするため、夜の添い寝は僕の大事な役割。3時間ごとにミルクあげ、寝かしつけ、オムツを取り替える。

多少の睡眠不足はつらいが、今までやったことのない領域へのチャレンジは、なかなかに楽しい。ずっと使ってきた脳と違う部分が刺激されている感覚がする。この年になると、完全に新しいことをする機会が少なくなるので、「子育てって楽しい!」が今の素直な印象ではある。

日に日に表情を変える我が子の成長はもとより、自分の父親としての成長も楽しみな1年間になりそうだ。

誰かの参考になればと思い、適宜日記をしたためていければと思う。

執筆 ぽめ 

妻:モテコンサル勝倉

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